光と闇の真実


人が、すべての命が生まれ、そして存在し続けている理由は誰にもわからないのでしょう。
おそらく創造した存在でも。
すべての命はその創造した存在のなぜ我はあるのかという命題を解くために生まれ、さまざまなことを経験して、その経験と思い、考えが創造した存在の情報となり、創造した存在の答えを知る手がかりとするための存在なのでしょう。

さまざまな経験をさせるために、世界を陰陽、光と闇に分け、その結果、争いや葛藤がもたらされ、苦しみがもたらされる。人生において、理不尽な悲劇がくりかえしくりかえし上演されています。言葉も考え、感性も異なる命たちが、自分だけが正しいのだとかんちがいして、相手に押しつけることでの争いと苦悩なのでしょう。そうでもしないと、不安で気持ちが安定しないからなのでしょう。自身の存在が消え失せてしまうのではないか、存在する意味が失われてしまうのではないかという恐怖だと思います。

おたがいの考えや感性を受け入れあい、わかりあうことがなければ、永遠に平和は訪れはしないでしょう。陰と陽、光と闇は本来はひとつのものから生まれしもの。本来、光と闇は抱き合うために生まれた存在。新たな命、世界を生み出すための陰と陽のはずなのです。

光と闇のバランスの調整がつねにおこなわれ、歴史はくりかえされていきます。
世界が光だけになり、闇が消え去ったとき、それは大宇宙、すべての世界の終焉となるでしょう。闇があるから光の存在がわかり、光があるから闇の存在が明瞭となるのです。
たとえてみれば、陰が女性、陽が男性とされていますが、陽の男性だけで新たな命は生まれないのと似ています。

命の想念がネガティブで蓄積されていき、風雨などで浄化がまにあわなくなったとき、人々の祈り、大祓の神事によっても浄化されえなくなったとき、ノアの箱船やソドムとゴモラのような天変地異によって世界はリセットされていくのでしょう。

終わらないものはありません。すべては栄枯盛衰。企業も国も、栄えと衰えをくりかえしていく。どんなに人気があるものでも、時代が過ぎれば終わりのときを迎えます。よって、日の目をみていない人たちこそ、これから成功していく可能性が高いのです。

いつかは地球や太陽もいつかは命を終えます。
そのとき、すべての記憶、人々の業績、歴史も形のなかでは消えていきます。
ただ、そのすべては「アカシックレコード」というすべての世界のデーターに記録されているといわれています。過去と未来のすべてが。
そのアカシックレコードがリセットされないかぎり、歴史は永遠にくりかえされるのでしょう。

人はいずれ、半霊半物質の存在となり、病や貧困などから解放されるときが来るでしょう。
物質ならではの苦悩から解放されて、究極の進化を遂げるときが来るのでしょう。多くの人がこの世こそが現実だと思っているけれど、霊的な世界こそが本来の姿なのではないかと思うのです。

人は人生に立ち止まってしまったとき、ふと、なんのために生きているのだろうと疑問を抱きます。
その答えは誰にもわからないのではないでしょうか。生きている意味などないのかもしれません。

人は生きていくための意味をみいだそうとします。
仕事のため、家族のため、ペットのためにと言い訳をつくりだします。
言い訳にしていたものがなくなったとき、人の心は放浪をはじめます。
自身の存在価値がなくなったと感じ、うつになり、自死を選択することもあります。
存在価値などどうでもよいこと。それこそ、なんの価値もない考えだと思います。
生きている自分自身にこそ価値があり、死しても魂の存在に価値があると信じています。

誰からも必要とされていないと思い、寂しく思う必要はないのです。
自死の選択をしてはなりません。
人は、命はひとつひとつがかけがえのない存在だからです。
ゆえに、人は自分自身のために生きていくと思うようにすればよいのだと思います。
生きたいから生きていく。ただそれだけでよいのでしょう。

私をふくめて、多くの人は人生のなかで海や川に溺れることもあるでしょう。ときには底なし沼にはまってしまうことも。そんなときは誰しも無我夢中でもがきます。動きます。いろいろしようとしますが、それは結果的に沈んでいくことになりやすいものです。なかなかできることではありませんが、溺れたら、沈みはじめたらもがくことなく、浮かぶように空をみて時を待ちましょう。助けがくることもありますし、妙案が浮かんで解決できることもあるはずです。

芸能界でももがいて深みにはまり浮かび上がらない人たちが多くいます。じっと静かにしていた人たちは復帰しているのですが。流れはときとして残酷なものです。川の流れ、海の潮流に逆らうことなく、ときには身を委ねることも生き延びていく過ごし方なのでしょう。

形ある今の世界が滅ぶ時期は遠くはないでしょう。
それでも、終わりのその日までは、自分自身のために生きていく選択がベストだと思うのです。

生きていく意味を問うよりも、生きていくことに最善を尽くすほうが楽しいと思えるからです。生きていくために、愛情や喜びを求めていくほうが幸せだと思えるからです。

人は、いえ、それが光の存在であれ、闇の存在であれ、いかなる命でも孤独な存在で弱虫な存在なのだと自覚できたら、きっとおたがいにやさしくなれるでしょう。おたがいに助け合える世界が築かれることでしょう。もともとひとつのものから生まれた悲しく寂しい、そして愛に包まれた存在なのですから。


                                 (了)

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